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第二話
九谷焼の土台を守る、磁器土づくり
「KUTANism」総合監修をつとめる秋元雄史が、九谷焼が生まれる現場を訪ね歩く連載シリーズ「秋元雄史がゆく、九谷焼の物語」。九谷焼の主原料である「花坂陶石」の原石山を訪れた前回に続き、第2回はその陶石から「粘土」がつくられる現場へ。九谷焼産地に僅か2軒残る製土所のひとつ、「谷口製土所」を訪ねました。
陶土(≒土)が主原料となる陶器とは異なり、陶石(≒石)を粉砕した石粉をベースとしてつくられる磁器。あの陶石から、どのようにして自在に形が変わる粘土が生まれるのでしょうか。
轟音が響く工場で、汗をぬぐいながら迎えてくれたのは3代目の谷口浩一さん。祖父の代から続く粘土製造を行うかたわら、近年は土や素地自体の魅力にフォーカスしたオリジナルブランドもプロデュースしています。粘土づくりの工程を見せていただきながら、“量”が売れなくなった時代をサバイバルする若手世代の声もうかがいました。
案内してくれた人
谷口 浩一
さん
小松市若杉町にある、1951年創業の「谷口製土所」三代目。大学卒業後、県内の広告出版系の会社に10年間勤め、32歳のときに家業である谷口製土所を継ぐ。代々続く粘土の製造に加え、オリジナルブランド「HANASAKA」の立ち上げなど、新たな事業も展開させている。
イマココ
イマココ
分業体制のこれからと、
九谷焼を再点検する“平場”。
秋元
:ご自身でも「
HANASAKA
」という独自ブランドを立ち上げていらっしゃいますが、それは先ほどおっしゃったような危機感からですか?
独自のブランド「HANASAKA」
谷口
:オリジナルブランドを立ち上げた理由はいくつかあるんですが、ひとつは「谷口製土所」という名前を全国に知ってもらうツールを何か自分たちで持てないかということ。
通常、分業工程のひとつである粘土屋の名前が表に出ることはあまりないですから。
もうひとつは窯元の職人の技術にもっとフォーカスできないかということ。
九谷焼というと、やはり“絵”に目がいくと思うんですが、上絵をつける前の素地をつくる職人の技術力もすごく高いんですよね。だから「HANASAKA」では窯元と一緒に、土や素地自体の魅力を生かした製品づくりをしています。
秋元
:“九谷焼といえば上絵付け”というイメージがあるけれど、分業工程のどこに目をつけるかで、また違った可能性が見えてきますよね。
ほとんど上絵付けがないシンプルな器をつくる「HANASKA」
谷口
:あと、あたらしい顧客層の開拓ですね。
上絵付けがなされた「色絵磁器」としての、従来の九谷焼が好きな人はそれで良いのですが、そうじゃない人達にも九谷焼をアプローチしていきたい
なと。
秋元
:かつての“産地と工芸”みたいなものに良いイメージを持って、工芸品を買い支えしていた世代の人もどんどん高齢化してますもんね。ある意味世代交代というか、若い層に向けてというのは大切ですよね。
谷口さんご自身は、家業を継ぐことへの葛藤みたいなのはなかったんですか?
谷口
:僕はもともと継ぐつもりはなかったんです(笑)。だから大学卒業してからは、10年くらい広告出版系の企業で働いていていました。でもある年の正月に帰省したときに「粘土屋だからって、粘土だけやらんなんことはないよ」と父に言われて。自分としても色々なことにチャレンジしてみたかったので、じゃあ家業でそれをやってみようかなと。
秋元
:九谷業界を継ぐ同世代というのは?
谷口
:少ないですね。今はなんとか保っていますが「跡継ぎがいない」という窯が結構あるので、今後ガクッと減ることはあると思います。高齢で一人でされているところも多いですから。
ただ、そこが無くなってしまうと “失われてしまう技術”というものがある。
たたらを専業にしている窯元や、ろくろや鋳込みを専門にされている職人など、人材の育成はかなり急務ですね。
秋元
:九谷焼は分業化が進んでいるから、次々歯抜けになってくると問題ですよね。
谷口
:単純に今「職人になりませんか?」といっても、なかなか難しいと思うんです。
何か“職人の在り方”そのものを見直すような働きをしていかないといけない
し、雇用が生まれるものづくりというか、企業としての魅力アップはどこも必要だと思っています。もう産地だけで職人さんを補うのはどう考えても難しいので、外から「あの企業で働きたい/九谷の産地で働きたい」という風にもっていかないと。
秋元
:確かに、今までは九谷焼がひとつの大きな産業としてあったから分業化できていけれど、これからは
仮にどこかが崩れても自分たちだけでもやっていけるような体制を、それぞれがサバイバルしなきゃいけない時代になっていくんでしょうね。
谷口
:それぞれが自立した立ち位置を持つというのは、大切だと僕も思います。その上で、それぞれが集まって分業をしてもいいわけですし。
秋元
:自分たちで製品開発してブランディングしていくのも一つの形だけど、今度はそのブランド志向や高級志向の中で埋没する可能性が出てきたり、次の壁があるから難しいですよね。その、一方で腕の良い年配の職人達には仕事がない、といった状況がどの産地でも起きている。
谷口
:そうですよね。みんながモノを作り始めると、今まで下請けだった人の仕事がなくなるわけですから。
秋元
:なんていうかな、“ものづくり”といっても、いろんなレベルがあるじゃない。例えばファッション業界でいえば、エルメスとかシャネルみたいなハイブランドもあれば、ギャップとかユニクロみたいな安価なものもある。安いから悪いというわけじゃなくて、それぞれがある種のクオリティを保ってやっていますよね。そういう多様性の中でどう生き残れるか、みたいなのは九谷焼でもひとつあるかもしれない。
谷口
:確かに、今までは量産したものも、手づくりのものも同じ売り場で「買ってください」とやっていたところがあるので、そこを考えていかないといけない。売り場もそうですし、物の見せ方も。
従来のやり方を一から再構築するくらいのことを、今やらないといけないのかもしれません。
僕らの方でも、例えばオープンファクトリーのような、一般の方に工場や窯元を開いて一緒に見学してもらいながら、ブランドと現場を上手く絡ませていけないかと考えていて。「九谷焼を買ってください」というより、まず“工芸品のようなもの”を使う人自体を、これから増やして行きたいんです。
秋元
:面白いですね。もしかしたらブランディングをこちらが作る前に、そんな風に
一旦“平場”をつくるというか、そこにお客さんを受け入れられるような関係をつくっていって、自然にそれぞれの好みの中で立ち上げていく、
というのも良いですよね。
秋元
:今までどこか“九谷焼”のイメージを固定しすぎていたところがあるのかもしれません。そのことで却って見えなくなっているものがあるかも。
「これが九谷です」と絞っていくよりは、むしろこういった広がりがある中で生まれてきているものが九谷であり工芸であると。
前回含め、こうやって現地を回って見ていくと今まで繋がっていなかったものが繋がっていって、僕自身すごく面白いんですよ。一回ゼロベースで並べて、改めて一つずつ丁寧に点検してみるような作業が、今重要なのかもしれません。KUTANismがそういった動きのきっかけになっていけたら面白いですよね。
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【PROFILE】秋元雄史/東京芸術大学大学美術館館長・教授。練馬区立美術館館長。「KUTANism」総合監修。
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